art
日光菩薩 月光菩薩 言わずと知れた、薬師如来の脇侍。 つまり助さん格さん☆ 情熱大陸で取り上げられた(見逃した・・・!)展示方法は、スロープを登ると徐々にお顔が見えてきて、像のお顔を正面から見えるように一段高くなったところにベランダのように鑑賞…
期待しすぎたのがいけなかったか。 そもそもアートというのは『美』に代表されるような無形のものを伝えるために具現化するようなものであって、具現していることが前提の、突き詰められたアイディアには結果として美が宿るデザインと融合というのは本末転倒…
ものを正確に捉えようとすればするほど、光の質は厳密に把握しなければならないという。しかし捉えようとすればするほどそれは曖昧となり、意識は『正確さ』から逃れようとする。 視界は滲み、眼の奥が痛む。しかし豊久氏は最後にこう結ぶ。 自分の好きな光…
Dialog in the Dark : 闇の中での対話 眼底に遺った光がいつまでもちらちらと。 しかし視覚が使えないことは経験則として判っていたのでそれには頓着せず皮膚感覚を、耳を、鼻を、研ぎ澄ます。 寧ろそこまで遺る強い光を浴びまくってるんだなということが薄…
入るなりの人混みもさることながら、写真そのものに居心地の悪さが。時折、良いと思える作品もあるものの、違和感を拭えず。 ヴィンテージ・プリント(最初の現像)コーナーにて、謎が解ける。鮮やかすぎるのだ。 鮮明でない輪郭に纏っていたアトモスフィア…
西の空に赤い輪郭が浮かぶ。 赤く染め上げられた雲が、闇に沈んでいく。 そして光の瞬きが、一面に広がって・・・そのゆらぎの為か、闇がどんどん奥へと深みを増して。 それに引きずられるように、骨の髄から揺り動かされる。 皮膚一枚を残して裡は空へ指向…
お天気の休日だからごった返しているかと思いきや、程良いまばら感。立ち止まって観てても誰の邪魔にもならないし誰にも邪魔をされない。 象の足下に横たわる少年の画。 普通写真というのは、シャッターを開いた時間がすべて折り重なって一幅の画にしてしま…
存在を知ったのは本当に偶然だった。仕事が押したり、電車が遅れたりして、行く気力が削がれまくったのだけど、15分遅れで到着。…続きは後程。
Gregory Colbert – In the beginning of time, the skies were filled with flying elephantsは、作品よりも建造物としてのそれがみたいと記憶に留めていた。 しかしサイトで作品の端々をみると、これは生でみなければという気分がひしひしと。
古き町にテンポラリーインスタレーション。 サスティナブル、は町並みに掛かっているのかな? 残念ながら私の中に受け止める為のフックが無いアートが多かったのだけど、上野桜木空き地に在った三原色を纏ったジャングルジムにて夢中になって遊ぶ子供の図が…
今年頭に金沢21世紀美術館でやっていたインスタレーション。 流石に金沢には行きそびれた。 万難排して行くぞ!
視界を覆う巨大な紙。 その細かく見事な細工にまず感嘆。 横に回る。 壁に、床に描かれた光の文様。 床は山水画、壁は焔のよう。 裏側へ回り、どこか煙ったようなその光の中を歩く。 光を蓄えたそれは、紗の如く。 いいものを観た。
幼い頃から視力も眼の晶そのものも弱かったので、何も無いところでも『自分には見えていないだけで、実はきっと何かがあるに違いない』と思っていた。 だから夜、二階に一人で上がる事や電気を消して眠ることは出来なかった。 そのお陰で他の器官・・・聴覚…
紙百科 色を知る、色をみる色紙、約6000枚による色の空間に出会う。
現代日本画の探求者「手塚雄二− 花月草星展」@日本橋高島屋 日本画の新たな領域を切り拓くと言われてもベーシックな『日本画』というものが判っていないわけで。 端正な線を保つことで作られた薄い外殻の内に撓めた力が仄かな光を持つような。 好きか嫌いか…