国宝薬師寺展@東京国立博物館

日光菩薩
月光菩薩

言わずと知れた、薬師如来の脇侍。
つまり助さん格さん☆

情熱大陸で取り上げられた(見逃した・・・!)展示方法は、スロープを登ると徐々にお顔が見えてきて、像のお顔を正面から見えるように一段高くなったところにベランダのように鑑賞スペースを設えられているもの。

しかしそこから見えたお顔は、上からのライティングのためか影に覆われていた。

何故、我らは如来の居られぬところに、光背も引き剥がされて、このようなところで晒されてるのか?

そう語っているかのような、鬱屈とも取れる厳しい表情。

やはり「在るべき場所」ではないところで観るということは不遜だったのか。
そして若干メタボなラインが気になる。

等と話ながら、スロープを下って像の足元に拡がる鑑賞スペースの入り口に立ったとき。

柔らかく、優しい表情に打たれた。

角度を変えれば表情が変わる、というのは想定していたことではあったのだけど、そんな薄い知識など吹き飛ばすほどの存在。

自然と手を合わせたくなる。

人の流れに乗って像の後ろに回ると、継ぐことなく鋳造したという像の、背が滑らかで艶めかしい。

如来は装飾品が一切無く、それは功徳の輝きがあるからで、まだ如来になれない菩薩は装飾品を身に付けなければならない、との話を聞いたことがあるのだが(相当端折って書いているので、気になる人はきちんと調べて下さい)、その飾り気のない剥き出しの背の美しさに胸が熱くなる。

そして日光菩薩像の右手に廻ると、表情が厳しくなる。
更にそこ(薬師如来が在るべき位置の、正面)から月光菩薩を臨むと、やはり厳しい表情。だが、ぐるりと回って、月光菩薩の左手より仰ぎ見ると温かい眼差し。

如来の脇侍としての役割としては厳しく在らねばならないが、その反面で衆生には優しい眼差しを注いだのだと、すんなりと腑に落ちる。

ぐるぐると何度も周り、傍にいるだけで安堵して。


だから平然と、写真を撮る年配の小父様たちの神経が信じられない。
一眼レフで堂々と撮っているので自分の認識が間違ってるのかとチケット取りだして注意事項見直したり。
マーキングしなければ気が済まないのか?

美しさと醜さが混在するのが現世なのかもしれないけど、そんな体現は要らない。


なにはともあれ。
薬師寺に日光・月光菩薩が戻ったら、詣でさせて頂かねば。