太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』



LIVEに行く醍醐味はアトモスフィアを感じられること。


それは雰囲気とか空気感とか言い換えることができるのかもしれないけれど、敢えてカタカナで称するのは、そのときの場が含んでいる粒子ひとつひとつが纏っていた光というイメージがこの言葉にはあるからだ。
あくまで個人的見解。


改憲護憲言ってる人たちには、憲法九条に対する実感がないのだろうなと。
それはCDを聴いて、もしくは歌詞カードを見て音楽を判った気分になるのと同じ。
歌詞カードという夾雑物がない文章は非常に分かりやすいけれど、それは『音楽』ではない。
『アトモスフィア』まで含んで、それは音楽になる。


二人の対談は実感をしているのだけど、そのものを現すことが出来ない芸術家のようだ。
もちろん、そんな表現がすぐに出来るのだったらゴッホだって絶望で自殺することなんて無かったわけで。


見えている、現しきれない本質そのものを周辺から浮かび上がらせようという努力を感じる。


判り易いってのは何かを切り捨ててる場合が在るからね、というような一文もあったかな。
そこに『実感』がある。
悩め悩め。
上っ面の論議は飽いた。