梅田望夫『ウェブ進化論』



60年代〜90年代において個性重視が叫ばれていたのは『公』が揺るがない土台だったからで、だけど実際は『公』という無意識の文化的連帯意識が無くなってしまうという実現の仕方をしていて。
自由と勝手の取り違えのような事象が起きている。
その、分断されてしまった『公』を別の世界でインフラ構築してくれるもの(もしくは再現してくれるもの)としてwebの世界を捉えようとしているような?ウィキペディアなどの集合知は、社会における自浄作用が前提だし。ブログの隆盛というのは匿名から記名への変遷なわけだし。
でも、別の世界と言いつつも結局フィールドが広がっただけ(それだってたいした違いにはなるが)で、そんなに大上段に構えることかなと思ってしまう。


脅迫的に使われるweb2.0というものの実態が垣間見えるという意味では良いのかも?でもうっかりしたら信者が増えるだけかな。
良いものだけど需要と消費が噛み合ってないもののマッチングが出来るようになったというのがロングテールの意味であって、大局はパレートの法則のままで、問題にされるべきはその“恐竜”たちが小型化してることだと思うのだけどそこについては誰も何も言わないのね?