シネマ歌舞伎「野田版 鼠小僧」
舞台というのは生で観ないと。
アトモスフィアを感じることが、醍醐味なんだから。
最終上映で掛かるのが今週だけなのに今日珍しく早く帰れそうというのも何かの巡り合わせかと、傘が無いから帰った方が良いのではないかと(会社から駅、駅から家なら殆ど濡れない距離)いう心持ちと天秤に掛けていたのと合わせて悩んでみたのだけど、ぐだぐだ考えてるんなら行ってしまえ!とシネスイッチに。
始まって15秒で若干の後悔。
予想してたとおりだが人物を追い掛け過ぎる。
三輪さんがテレビで「ヨイトマケの唄」を固定カメラで撮ることを最低条件として挙げていらしたがそれと同じで、カメラワークは過剰演出になってしまう。
人間、数秒しか同じ映像を見ていられないという生理学的理由はあるのだろうけど、所作や体幹の動きや足裁きもみたいのに表情ばかりになってしまうし(顔つき、も大事だけど全身から発してるものが判らなくなってしまう)、正面から見るように作られている舞台美術の世界が崩れる。
何より、黒子であったり死んだ後なのに荒い呼吸だったりするような『見なかったことにする』ものが露わにされてしまう。
野田脚本らしい言葉遊びからの本質への誘導。
矛盾を抱え込む人間。
まさに普遍的テーマ。
だけどどうしてもあらすじを見ているよう。
それなりに面白かった。
でも、汗だくで演じている勘九郎さんと、客席の空気との隔絶に違和感。
後悔する前に舞台に行こう・・・とりあえずベニサン・ピットかな。
早く行かないと終わっちゃう。